沿革

本願寺福井別院の沿革

文明3年(1471)に本願寺第8代蓮如上人が吉崎に入られ一宇を建立、同6年に吉崎炎上。同7年に蓮如上人、吉崎を退去。これをうけ越前国守、朝倉敏景の請により同年一乗谷に移転、福井御坊の起源なり。天正12年(1584)東郷領主、長谷川秀一が東郷に坊舎を移築。同13年秀吉の命により北ノ庄城主となった堀秀政が真宗に帰依、北ノ庄柳町に方百間の寺地を寄進、その子秀治のときに堂宇を建立。慶長5年(1600)家康の次男結城秀康が越前領主となる。寛永17年(1640)本願寺第12代准如上人の第9子理光院照円師が入寺。

万治2年(1659)福井藩主第4代松平光通(秀康の孫)の時、現在地に移る。堂宇は数度の火災に遭い、文久2年(1862)に再建された本堂伽藍(本堂方24間)は全国屈指の威容を誇った。明治9年、福井御坊を福井別院と改称。昭和20年、福井空襲ですべてを消失。同23年、福井震災で仮本堂を焼失。

現在の本堂は昭和38年、門徒会館は同48年にそれぞれ崇敬門信徒の懇念により再建。平成5年、本堂と門徒会館の改修及び式台と役宅が新築され、同8年に蓮如上人500回遠忌法要が、また、平成24年、本堂・内陣・門徒会館の改修がされ、同25年に親鸞聖人750回大遠忌法要がそれぞれ本願寺第24代即如ご門主さまご親修のもとで勤修された。